献杯

かけがえのない友が逝きました。

生まれた時から、小学校、中学校、高校と共に歩んだ親友です。すい臓がんでした。67歳。あまりにも早い旅立ちです。

先週、東京のご自宅へお見舞いに伺いました。手を握り、1時間ほど、子供の頃から学生時代の思い出を語り合いました。長い年月を共に過ごした友との、最後のひとときとなりました。

そして本日、奥様から逝去の知らせが届きました。

思わず、唇を噛み、天を仰ぎました。

一人っ子の私にとって、彼は実の兄弟にも勝る存在でした。幼い頃の自分も、青春時代の自分も知っていてくれる友。その存在に、どれほど支えられてきたことでしょう。

彼は広島大学へ進学し、一部上場の精密機械メーカーに入社しました。海外勤務も経験しながら長年勤め上げ、ようやく退職を迎えたばかりのところで、不治の病に侵されました。

「ようやくセカンドステージがきたので、もう少しだけ、妻や家族との時間を楽しみたかった。」

悔しそうにつぶやく彼の言葉に、うまく返す言葉が見つかりませんでした。

もう少しだけ、家族と過ごしたい。その願いの切実さを前にして、ただ手を握っていることしかできませんでした。

私自身も、突然の大腸断裂に見舞われ、ICUで3日間を過ごし、命を取り留めた経験があります。今も障がい者手帳を携帯し、一日3回の薬を欠かさず服用する毎日です。

こうして今日を過ごせていることは、決して当たり前ではありません。頭では分かっているつもりでも、友の訃報に接すると、命のはかなさと、与えられた時間の重みが胸に迫ります。

人は誰しも、いつか最期を迎えます。その意味では平等なのかもしれません。しかし、そこに至るまでの時間や運命には、どうしてこれほどの違いがあるのでしょう。

突然の病、交通事故、そして戦争。本人にも家族にも受け入れがたい事情によって、大切な人の命の灯が消えてしまう。その理不尽さを前に、人は悲しみに暮れ、答えのない問いを繰り返します。

友にも、これから過ごしたかった日々がありました。奥様やご家族と楽しみにしていた時間が、まだまだあったはずです。それを思うと、言葉が続きません。

夜、西川沿いのお店で、普段は飲まない日本酒を注文しました。

幼い頃から共に歩んだ日々を思い、先週握った手を思い返しながら、静かに盃を上げました。

丁度、曼殊沙華の季節であります。

また、野に咲く花々にも野辺の送りの願いを込めました。

長い間、本当にありがとう。

君と友でいられたことは、私の人生の宝です。

早すぎる旅立ちに、献杯。

合掌。

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