災害対策本部で見た「行政の力」-東日本大震災から十五年に思う

2026年3月11日午後2時46分

ご近所のお寺の境内で、東日本大震災から十五年の黙祷をささげました。

その瞬間、いつにも増して鳥の高鳴きが耳に届き、庭先の花の色がひときわ鮮やかに見えました。

自然は、何事もなかったかのように季節を巡らせています。

しかし、私たちの記憶のなかには、決して風化させてはならない出来事があります。

東日本大震災の発災から約一か月後、私は東北地方整備局の災害対策本部を訪ねる機会を得ました。

当時、その陣頭指揮を執っておられたのが東北地方整備局長・徳山日出男氏でした。

徳山氏は岡山県出身。東京大学工学部を卒業後、建設省に入省し、道路行政や国土基盤整備の分野で中枢を担ってこられた行政官です。

2011年1月に東北地方整備局長に就任され、そのわずか二か月後に東日本大震災が発生しました。未曾有の災害のなかで、道路啓開、救援物資輸送ルートの確保、被災自治体との広域調整など、復旧・救援の最前線を指揮されました。その後、国土交通省道路局長、技監、そして事務次官を務められ、日本の国土政策を支えた行政官として知られています。

私が整備局を訪れた日は、大臣視察を控えた緊張のさなかでした。それにもかかわらず徳山局長は、自ら災害対策本部の執務室へ案内してくださいました。

そこには、行政の現場の現実がありました。

正面には多数の大型モニター。主要国道に設置されたカメラ映像が常時映し出されています。さらに、東北各地のテレビ局の報道画面も並び、被災地の状況を多角的に把握する体制が整えられていました。広い室内には、自衛隊デスクをはじめ、各担当ごとに机が整然と配置されています。職員の皆さま方は、自治体、警察、自衛隊、建設業者、支援団体などと絶え間なく連絡を取り合い、被災地支援の調整にあたっておられました。

その光景を前にして、私はひとつのことを強く感じました。

大規模災害とは、単なる自然災害ではありません。

社会の統治能力、すなわち「公共の総合力」が試される出来事なのです。

・情報を迅速に集める力

・組織を越えて共有する力

・現場へ確実に指示を届ける力

そして、それらを束ねるリーダーの判断力です。

制度や設備は重要です。しかし最終的に組織を動かすのは、人であり、責任を引き受ける覚悟です。東日本大震災では、震災直後、「くしの歯作戦」と呼ばれる道路啓開が行われました。内陸の幹線道路から沿岸部へ向けて放射状に道路を確保し、救援ルートを切り開く作戦です。国土交通省、地方整備局、自衛隊、警察、自治体、建設業者が一体となって進めたこの取り組みは、日本の災害対応の象徴的事例となりました。

つまり、何よりも大切なことは、災害対応とは制度だけでは動かないということです。日頃からの信頼関係、連携、現場感覚、それらが積み重なって、初めて危機のときに機能するのです。

徳山局長室には、県境も、組織の壁もありませんでした。

ただ一つの目的は被災地を守ること、そのために、すべての力が動いていました。

 

ところで、振り返れば、関東大震災からすでに百年余が経過しました。

そして現在、日本では南海トラフ巨大地震や首都直下地震など、巨大災害の発生確率が繰り返し指摘されています。

日本社会は今、いわば「大災害の時代」に入ったと言われています。

防災とは、特別な行為ではありません。

日常の暮らしのなかで備え続ける社会的な営みです。

わが家でも、この機会に防災・避難用品の再点検をいたしました。

一見ささやかな行動ですが、社会全体の防災力とは、こうした一人ひとりの備えの積み重ねによって支えられているのだと思います。

令和元年には、甚大な被害をもたらした台風十九号が日本列島を襲いました。自然災害は一度きりではなく、社会は常に次の災害と向き合い続けなければなりません。岡山県においても、平成30年7月豪雨により、倉敷市真備地区が未曾有の被害を受けました。

この災害からの復興に向けて、倉敷市では「倉敷市真備地区復興計画」が策定されました。それを受け、平成31年11月11日、倉敷市真備支所一階会議室において、第1回倉敷市真備地区復興計画推進委員会が開催されました。この委員会は、復興計画に基づく事業を着実に推進するため設置されたものです。初会合には、住民代表に加え、有識者など計22名が参加しました。私が委員長を拝命、会議では、真備地区の復旧・復興に向けた取り組みや、復興計画の進捗状況について倉敷市から報告がなされました。

また、復興の実態を把握するため住民向けに開催された「真備地区復興懇談会」で寄せられた意見を踏まえ、今後の計画見直しについても説明がありました。

災害復興において重要なのは、単にインフラを復旧することだけではありません。

地域の暮らしをどう再建するか。そして住民が将来に希望を持てる地域をどう取り戻すか。その意味で、復興とは行政だけで進めるものではなく、住民、専門家、行政が一体となって地域の未来像を描いていく共同作業と言えました。

真備の復興の現場に立つとき、私は東北地方整備局の災害対策本部で見た光景を思い出します。

災害対応の最前線では、行政の組織力が問われます。しかし復興の現場では、域社会の力そのものが問われます。

防災とは、災害に備えること。復興とは、地域を未来につなぐこと。

その両方を支えているのが、日々の行政の営みなのだと思います。

 

こうして東日本大震災から十五年が経ちました。

年月は流れましたが、災害の教訓は決して過去のものではありません。

あの日、東北地方整備局の災害対策本部で見た光景、整然と並ぶ机、絶え間なく流れる情報、そして黙々と任務に向き合う職員の姿。

その中心に立っていた徳山日出男局長の落ち着いた佇まいを、私は今も忘れることができません。

行政とは、平時には目立たない存在かもしれません。

しかし社会が揺らぐとき、人々を最後に支えるのは、静かに持ち場を守る公務の力です。

そしてその力は、特別なときに突然生まれるものではありません。

日々の地道な仕事の積み重ねの中で、静かに育っていくものなのだと思います。

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