セカンドステージの東京で賀川豊彦の教えとともに

オフ日が多いなかで、数日は、東京でフルタイムワーカーでした。

4月9日、10日の二日間は、水道橋で労働金庫の中央機関へ仲間入りされた新入職員の研修講師でした。

初日の午前中の講師を終えて、水道橋にあるトヨタ自動車東京本社の友人に連絡をいたしましたら、国土交通省にて業務中だと言うことで、丁度、霞が関の政府刊行物センターへ参る予定でしたので、霞が関ビルにて珈琲タイムを過ごしました。

と言いながら、お互いセカンドステージに入ったジイジ世代は「あの時君は若かった」との思い出話が多いのであります。

「あとは若い者に任せた」で良しです。

 

さて、初日の夜は、同じく講師を担当された友人と反省会でした。

東京大神宮が新しくなったと聞いて参拝いたしました。

学生時代以来なので40年ぶりくらいです。

外人の観光客も大勢いて、若い人たちで賑わっていました。

飯田橋に近い沖縄料理の「島」にて泡盛で盛り上がりました。

 

2日目は、講師を終えて、新入職員の皆さんの研修の仕上げとのプログラムで、世田谷にある賀川豊彦記念館松沢資料館へ参りました。

2日間の私の研修でも生協の生みの親、賀川先生の功績を紹介したところです。

ちなみに、昨年の5月に刊行した『人を大切にする経営学用語事典』(坂本光司・三村聡監修)にも賀川先生の功績を称え、用語として収録させて頂きました。

記念館では、副館長・学芸員の杉浦秀典講師から賀川先生の生き方を学びました。

 

賀川豊彦(1888年-1960年)は、日本のキリスト教思想家であり、社会運動家であり、そして何よりも「人間の尊厳」を生涯をかけて問い続けた実践者でありました。神戸の貧民街に自ら身を置き、困窮する人々と生活を共にしながら、社会の底辺にいる人々の救済に尽力したその姿勢は、まさに「思想を生きた人」であったと言えます。

彼はまた、日本における生活協同組合運動の創始者の一人でもあり、相互扶助の理念を社会に広く根付かせました。この思想は、労働金庫の源流にある「勤労者福祉金融」とも深く通じるものであり、単なる金融の仕組みを超えて、「人の暮らしを支える金融」という考え方の原点とも言えます。

さらに賀川は、労働運動、農民運動、平和運動にも関わり、ノーベル平和賞候補にも複数回推薦されるなど、その活動は国内外に大きな影響を与えました。彼の思想の根底にあったのは、「共に生きる社会」を実現しようとする強い意志でありました。

理論や制度を超えて、「人を思う心」を起点に社会を築いていく、その覚悟と実践こそが、今の時代においてもなお、私たちに問いかけているように感じました。

今回の研修では、若い新入職員の皆さんに対し、こうした賀川の思想と実践を、できる限り丁寧にお伝えしたつもりであります。微力ではありますが、次の時代を担う皆さんの心に、何か一つでも残るものがあれば、これに勝る喜びはありません。

当日は、一般社団法人全国労働金庫協会、労働金庫連合会の西田安範理事長もご参加され、中庭にて記念写真を撮影いたしました。世代を越えた学びと交流の場となったことを、心より嬉しく思います。

 

セカンドステージに立ついまだからこそ、強く感じることがあります。

それは、「経験」とは自分のために蓄えるものではなく、次の世代に手渡すためにある、ということです。

人はやがて去ります。

しかし、志は人から人へと受け継がれていく、その静かな連なりの中に、私たちは生かされているのかもしれません。

微力ながら私からも若い世代に志を伝えて参りたいと思います。

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