翌朝は、終戦から81年を迎えた8月15日でした。
朝の「大人のラジオ体操」と瞑想を終え、トレイルウォーキングへ出かけました。伊豆高原の静かな森を歩きながら、前夜の花火のことを考えました。
夜空に響く大きな音を、恐怖ではなく「きれいだな」と感じながら見上げることができる。自由に旅をし、夫婦で森や海岸を歩き、温泉につかり、食事をいただくことができる。私たちが当たり前だと思っている日常は、平和な社会があって初めて成り立つものです。
正午に伊東市のサイレンが響き渡りました。部屋で静かに黙とうを捧げました。
戦争を実際に体験した世代が少なくなる中、戦争を知らない私たちが、その記憶と平和の大切さを、どのように次の世代へ伝えていくのか。
花火の大きな音を「美しい夏の音」として聞くことのできる社会を、次の世代にも残していかなければなりません。終戦から81年を迎えた伊豆の静かな朝に、改めてそう考えました。
この頃になると、食事も断食食から回復食へ、そして少しずつ日常の食事へと近づいていきます。大根、ニンジン、大豆の玄米粥、油揚げとキャベツのスープ、ヨーグルト。食べる量は控えめですが、一品一品の味をしっかり感じることができました。
午後は私も全身マッサージを受けました。特に腰のつらい部分を丁寧にほぐしていただき、身体の状態についてのアドバイスも受けました。その場で楽になるだけでなく、日常生活へ戻ってから自分の身体とどう付き合っていくかを考える機会になりました。
その後、参加者の方に車で案内していただき、伊豆高原を巡りました。
最初に訪れたのは「やすらぎの里・本館」です。生のオレンジジュースとホットコーヒーをいただき、館内も丁寧に案内していただきました。
本館は、私たちが滞在した養生館とはまた異なる趣があり、豪華なホテルを思わせる佇まいです。館内からは相模湾、さらに太平洋まで一望できます。大きく広がる海と空を眺めているだけで、心がゆっくりほどけていくようでした。
やすらぎの里には、人だけではない「癒やし役」もいます。養生館にはトイプードルの「風太」、本館には柴犬の「海」がいて、それぞれ愛らしい姿で滞在者を和ませてくれました。
健康づくりというと、食事や運動、施術に目が向きがちです。しかし、動物と触れ合い、思わず笑顔になる時間も、心を整える大切な養生なのだと思います。
本館を後にし、豊かな畑の中にある山神社へ参拝しました。周囲に広がる畑や緑を眺めながら、参加者の皆さんと健康祈願。自分自身と家族の健康を願う、静かなひとときとなりました。
その後は「旅の駅ぐらんぱるぽーと」へ。伊豆らしい品々を眺めながら、お土産を買い求めました。断食と養生の滞在中とはいえ、旅に出れば家族や知人へのお土産選びも楽しみの一つです。
養生館へ戻ってからは、稲取産の天草を使ったところてんづくりを体験しました。海の恵みである天草から、自分たちの手でところてんを作り、最後は黒蜜をかけていただきました。
断食を経験した後だけに、つるりとした食感と黒蜜の甘さが、いつも以上にありがたく感じられました。
フォームローラーを使ったセルフケアでは、自分で全身をほぐす方法を学びました。施術を受けるだけでなく、自分の身体は自分でも手入れする。その方法を日常生活へ持ち帰ることも、今回の滞在の大切な目的です。
最後の夕食は「養生ご飯」の半減食でした。カロリーは通常の半分程度に抑えられているそうですが、目の前に並んだ料理は見た目にも華やかなお膳です。
具のない味噌汁一杯から始まったことを思えば、久しぶりの「きちんとした食事」です。一品一品をゆっくり噛みしめながら、食べられることそのもののありがたさを感じました。
夜の養生講座では、野村館長が四泊五日のポイントを丁寧に振り返ってくださいました。
断食そのものを目的にするのではなく、食事、運動、睡眠、休養、心の持ち方を含めて生活全体を見直し、日常へ戻ってからどう続けるかが大切です。
約20人の参加者による振り返りでは、それぞれが今回の滞在で学んだこと、心に残ったこと、日常生活へ持ち帰りたいことを発表しました。同じ四泊五日を過ごしても、感じ方や気づきは人それぞれです。他の方の言葉を聞くことで、自分では気づかなかった養生の意味にも触れることができました。
最終日の朝も、ヨガと瞑想、最後のトレイルウォーキングから始まりました。四日前、具のない味噌汁一杯から始まった食生活は、断食食から回復食へ進み、少しずつ日常の食事へ戻りました。
今回の滞在で印象深かったのは、単純に食事を減らしたことではありません。食べない時間をつくることで、「食べるとは何だろう」と考えたことです。
具のない味噌汁、ニンジンとショウガのスムージー、ドライフルーツ3個、豆乳スープ、大根のスープとニンジンのシャーベット、玄米粥と味噌汁。食事が少しずつ戻るにつれて、一口の重みが変わりました。
何を食べるかだけでなく、どれくらい食べるか、どのように味わうか。豊かさを「たくさんあること」で測りがちな日常の中で、少ないものを丁寧に味わうことにも、確かな豊かさがあります。
私は日頃、道路や橋、公共施設などについて、壊れてから直すのではなく、状態を点検しながら計画的に維持管理する「アセットマネジメント」の重要性を考えています。
今回、伊豆高原で過ごしながら、これは人間も同じではないかと思いました。
身体も心も限界まで使い続け、壊れてから慌てるのではなく、ときには立ち止まって状態を確認し、休ませ、手入れをする。いわば自分自身の予防保全です。
豪雨への備えも、地域のインフラも、平和も、失ってから大切さに気づくのでは遅い。未来を想像し、今から手入れをしておくという点では、どこか共通しています。
身体を休めるために訪れたはずなのに、富戸漁港、城ヶ崎海岸、八幡野港、自然研究路と、結局かなり歩きました。それでも、食べる量を減らし、身体をほぐし、温泉につかり、妻と話し、花火を眺めることで、いつもの生活を少し離れたところから見つめることができました。
豪雨に驚き、自然の美しさと怖さを感じ、港で地域の暮らしに触れ、露天風呂から花火を眺め、終戦81年の日に平和を思う。
具のない味噌汁一杯から始まった伊豆高原での四泊五日は、身体を軽くするだけでなく、これからの「食べ方」「歩き方」「休み方」、そして「生き方」を考える小さな節目になりました。
さて、退所いたしましたので、帰り道、徒歩では行けなかった法華宗「蓮着寺」へ参拝いたし、夫婦の健康、家族の健康、世界平和を祈願して帰路につきました。
日常へ戻れば、予約したアジの開きが待っています。
せっかく覚えた「食べる瞑想」を忘れず、一枚ずつ、ゆっくり味わうことにします。
