京都大学の忘られぬ一日

10月1日。後期の授業が始まる季節となりました。今朝の鴨川は、涼しい秋晴れです。川の流れを眺めながら、京都大学へ向かいました。これまで幾度となく訪れてきた京都ですが、この日は、いつもとは少し違う緊張を感じていました。

授業が始まり、100名を超える学生さん達を前に、コース責任者の川北英隆先生からご紹介をいただきました。研究活動の傍ら、これから授業のお手伝いもさせていただきます。

柄にもなく緊張いたしました。 長年、大学で授業を担当し、各地で講演をする機会もいただいてきました。それでも、この日は特別でした。長い年月にわたって教えを受け、博士論文でもお世話になった先生が、学生さんたちの前で私を紹介してくださる。その場に立たせていただいたことに、胸がいっぱいになりました。

ようやく、ここまで来ることができました。そう思うと同時に、ここへ至るまでにお世話になった先生方、職場の先輩や同僚、地域の皆さま、そして家族の顔が浮かびました。一人で歩いてきたのであれば、到底たどり着けなかった場所です。昨年、岡山大学を定年退職し、いったん現役生活の棚卸しをいたしました。振り返れば、転職ばかりを重ねてきた人生でした。全国労働金庫協会・連合会から、金融財政事情研究会、現代文化研究所、愛知学泉大学、そして岡山大学へ。四度の転職を経て、五つの職場としてお世話になる栄誉を頂くことになりました。次へ進むたびに、慣れ親しんだ仕事や人間関係から離れ、新しい場所で一から学び直すことになり、周りの方には、ご心配もご面倒もおかけしたと思います。それでも、職場が変わるたびに、それまでの経験を受け止め、新たな仕事を教えてくださる方がいました。私の未熟さを補い、失敗に付き合い、次の挑戦を後押ししてくださった方がいました。履歴書に並ぶ職場の名前の向こうには、そうした一人ひとりのお顔があります。

最初の職場で出会った労働金庫は、その後も私の研究の中心にあり続けました。働く人の暮らしを金融がどう支えるのか。協同組織の理念を、日々の経営や事業にどう生かすのか。若い頃に抱いた問いを、転職してからも手放さずに済んだのは、労金界の皆さまとのご縁が続いたおかげです。同期の弘中政孝さんとは、互いの結婚披露宴で司会を務め合いました。退職してからも交流は続き、新入職員研修などを通じて、再び労金の仕事に関わる機会をいただきました。職場を離れても、学ばせていただいた場所とのつながりが続く。そのありがたさを、年齢を重ねるほど感じています。

金融財政事情研究会では、約20年を過ごしました。原稿をお願いし、読み、分からないことを調べ、執筆者に教えを請う。編集の仕事は、私にとって、社会に開かれた学びの場でした。金融行政や金融機関の実務に向き合う方々、大学の先生方から、机上だけでは得られない知識と、仕事への姿勢を教わりました。同期の谷川治夫さんには、折々の大切な場面で助けていただきました。後に博士課程を目指す際、九州大学の川波洋一先生とのご縁をつないでくださったのも、谷川さんです。研究をまとめた『労働金庫』の刊行でも力を貸してくださいました。共に仕事をしてきた友が、人生の次の扉を開く手助けをしてくれる。その恩は忘れられません。

大村敬一先生にも、編集者として、そして学びを続ける一人の社会人として、長くご指導をいただきました。日本ファイナンス学会の設立準備や事務局の仕事に関わらせていただいた経験も、研究者の皆さまの真剣な議論に触れる貴重な機会となりました。先生方のお仕事の傍らで、働きながらでも学び続けることの意味を、少しずつ理解していったように思います。そして、今回、私を学生さんたちへ紹介してくださった川北英隆先生とのご縁も、金融の仕事をしていた時代に始まります。先生が日本生命に勤務されていた頃からですので、約40年に及ぶお付き合いとなりました。研究や仕事の話ばかりではありません。山歩きや温泉にもご一緒させていただき、折々に生き方や、これからの時間の過ごし方についてもお話を伺いました。先生が東京から京都へ移られる際にいただいた百日紅や水仙は、東京の自宅で花を咲かせてきました。庭の花を眺めるたびに、いただいたご縁を思い出す。私にとって川北先生は、そのように暮らしの中にも存在する恩師です。

現代文化研究所では、企業の調査研究や、交通、まちづくりの現場に関わらせていただきました。金融の仕事から視野が広がり、人の暮らしと移動、企業活動と地域社会との関係を考えるようになりました。当時の上司や同僚、調査先の皆さまに教えていただいたことは、その後、地域公共交通や自治体の仕事に携わる際の大切な土台となりました。

そして、50歳を前にして、ようやく大学教員となる機会をいただきました。

愛知学泉大学への道を開いてくださったのは、金融財政事情研究会の時代からお世話になっていた明瀬政治先生です。東京を離れ、愛知へ単身赴任し、念願の教員生活が始まりました。実務の経験があっても、大学教員としては分からないことばかりでした。村林聖子先生をはじめ、同僚の先生方や職員の皆さまに、授業や校務、大学で働くためのさまざまなことを教えていただきました。学生たちと地域へ出かけ、一緒に考え、時には思うように進まずに悩む。その日々の中で、教えることと学ぶことは、いつも隣り合わせにあると知りました。遅い出発を温かく受け止めてくださった皆さまのおかげで、教員としての第一歩を踏み出すことができました。

2011年には岡山大学へ移り、地域と大学をつなぐ仕事に取り組むことになりました。同じ年、九州大学大学院の博士後期課程でも学び始めました。教える立場にありながら、自分自身も学ぶ立場へ戻る。年齢を重ねてからの大学院生活は、簡単なものではありませんでした。川波洋一先生のもと、研究会で報告し、ご指摘をいただき、書き直す。若い大学院生や、既に博士号を持つ先生方に交じって議論するたびに、自分の理解の浅さを思い知らされました。それでも、川波先生も同門の皆さまも、年長の未熟な院生に、真剣に、そして温かく接してくださいました。結果として、九州大学では単位取得退学となりました。学位には届きませんでしたが、そこで学んだ時間は、その後の研究を支えています。川波先生のご指導があってこそ、京都大学へつながる道がありました。

岡山大学の経済学部の先生方にも、論文を発表する機会をいただくなど、お力添えを賜りました。仕事を続けながら研究をまとめ、2014年に『労働金庫』を刊行し、それを一つの契機として、京都大学の論文博士の審査に挑むことになりました。川波先生にもご相談し、ご了解をいただいた上での挑戦でした。京都大学では、川北先生のご指導を受け、厳しい審査に臨みました。実務経験が長いからといって、それだけで研究になるわけではありません。何を明らかにしたのか、どのような根拠で論じているのか。積み重ねてきた仕事と研究を、改めて問い直す機会となりました。そして2015年1月、博士(経済学)の学位取得の知らせが届きました。55歳でした。当時のブログには、「苦節、屈折、挫折、55歳の手習い」という題を付けています。随分と遠回りをしましたが、支えてくださった方々へ、ようやく一つの報告ができる。そのことが、何よりうれしかったのを覚えています。同年3月の学位授与式には、妻の助けを借り、母に列席してもらいました。体が不自由になっていた母と、車椅子で京都大学のキャンパスを巡りました。学内で食事をし、大学の歴史に触れ、私が学位をいただく場所を見てもらいました。

父母の世代は、戦争や暮らしの事情によって、学びたいと思っても、その道を自由に選べるとは限りませんでした。その二人に育てられた私が、働きながら学び続け、ようやく学位をいただく。母を京都へ連れて行くことには、自分なりの感謝の思いがありました。 授与式では、論文博士の学位授与代表者として壇上に立ち、山極壽一総長から学位記を直接いただきました。「ありがとうございました」とお返事した瞬間を、今も忘れません。そこに込めた思いは、先生方へのお礼であり、家族へのお礼であり、私を育ててくださった多くの方々へのお礼でもありました。

京都大学との関係は、学位をいただいた後も続きました。2022年には、京都大学経営管理大学院の研究員として学ぶ機会をいただき、京都アカデミア投資研究会の立ち上げにも関わりました。川北先生や三好秀和先生をはじめとする皆さまと、企業の実力をどのように捉え、長期的な投資につなげるかを考える仕事です。岡山で地域の現場に向き合いながら、京都で金融の研究に取り組む。その二つは、私の中ではつながっていました。2025年3月に岡山大学を定年退職した後も、学びの時間は続きました。同年6月には、川北先生のもとに集まり、リテールファイナンスについて議論を重ねました。かつて金融財政事情研究会で仕事をご一緒した古谷雅彦さんとのご縁も続き、それぞれが積んできた経験を持ち寄り、これからの研究や執筆について考えました。また、岡山大学でお世話になった荒木秀治さんを京都大学学務部長室に訪ね、大学のこれからについて意見交換する機会もありました。以前の職場で結ばれた縁が、別の場所で、また新しい学びにつながっていくことをありがたく感じました。

そして今年の6月に京都大学で客員教授として、新たなお役目をいただき、10月1日、学生さんたちの前に立たせていただく日を迎えました。かつて、学ぶ側として厳しい問いを受け止めていた私が、今度は授業のお手伝いをする立場になる。しかも、その場へ導いてくださるのが、長年お世話になった川北先生です。2015年の学位授与式とはまた違う、生涯忘れられない瞬間をいただきました。200名ほどの学生さんを前にして、これまでいただいてきたものを、少しでも次の世代へお返しできればと思いました。実務の現場で知ったこと、研究を通じて考え直したこと、地域の皆さまから教えられたこと。そして、うまくいかなかった経験や、遠回りの中で気付いたことも、学生さんたちが自分の問いを見つけるための材料になれば幸いです。

私自身、まだ学ぶことばかりです。若い皆さんの考えを聞き、自分の経験や理解を問い直しながら、研究と授業に向き合ってまいりたいと思います。ここまでの道のりには、家族の支えがありました。働きながら大学院へ通い、転職し、単身赴任を続ける私を、妻は長く見守ってくれました。娘たちが社会人になってからも、父親だけが学生を続けていた時期がありました。家族にかけた心配や負担を思うと、自分が頑張ったという言葉だけで、この歩みを語ることはできません。心から、ありがとうと伝えたいと思います。

また、法政大学で学問の入口へ導いてくださった原薫先生をはじめ、実は、大学院経済学研究科金融市場プログラムで、川北先生とオムニバスで「証券とファイナンス」の授業を非常勤講師として担当させて頂いたことがあるのです。まさに20年以上ぶりの教室でご一緒する栄誉なのです。こうして折々にご指導くださった先生方、五つの職場でお世話になった皆さま、岡山で共に活動してくださった地域の皆さま、教職員や学生の皆さんに、改めて御礼申し上げます。ここにお名前を記し切れない、多くの方のお力添えが、今日の私を支えてくださっています。

現役生活を一度棚卸しした今、こうして、もう一度心が緊張し、胸が高鳴る朝を迎えられることを、ありがたく思います。67歳になりました。若い頃のようにはいかないことも増えてきましたが、まだ問いを持ち、学び、誰かと一緒に考える時間があります。人生に、残された日がある。そのことに感謝しながら、心新たに、もう一度、跳ねてみたいと思います。

秋晴れの鴨川を眺めて始まった一日が、また一つ、忘れられない記憶となりました。

ようやく、ここまで来ることができました。ここまで連れてきてくださった皆さま、本当にありがとうございます。

京都での新しい一歩を、謙虚に、大切に、踏み出してまいります。

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