本日、かれこれ40年ぶりに、レコードプレーヤーを買いました。
愛媛県西条市の実家を片付けた際、処分することができず、岡山の自宅へ運んできた古い古いレコードがあります。フォークソング、歌謡曲、懐メロ、そしてクラシック。長い間、実家の片隅で静かに眠っていた、若い頃からの思い出が詰まったレコードです。
実家の片付けでは、家具や食器、書籍、写真など、一つひとつの品物を手に取り、残すものと手放すものを選ばなければなりませんでした。
愛媛県西条市小町の生家。南側の児童公園、その向こうに望んだ石鎚山。父母と暮らした日々や、子どもたちが幼かった頃の記憶。家を新しい方にお譲りすることが決まり、ひとつの役割を終えた安堵とともに、言葉にしにくい寂しさも残りました。
そのような中で、古いレコードだけは、どうしても手放す気持ちになれませんでした。
もっとも、岡山まで運んできたものの、レコードプレーヤーがありません。そのままでは聴くことができず、「いつかプレーヤーを買って、もう一度ゆっくり聴こう」と思いながら、しばらく時間が過ぎていました。
これは、セカンドライフでやってみたいと思っていたことの一つでもありました。
そして本日、ようやく新しいレコードプレーヤーを岡山の自宅に据えました。
箱から取り出し、説明書を読みながら接続し、レコードをターンテーブルに載せます。スイッチを入れると、円盤がゆっくりと回り始めました。慎重に針を下ろすと、しばらくして、独特の小さな雑音が聞こえてきます。
やがて、懐かしい吉田拓郎の声が流れてきました。
その瞬間、岡山の自宅にいながら、時間だけが一気に何十年も遡ったような気持ちになりました。若かった頃に見た景色、友人たちとの会話、その時代の空気、将来への期待や不安。歌声とともに、忘れていた記憶まで次々とよみがえってきます。
音楽には、不思議な力があります。
写真は一瞬の風景を残しますが、音楽は、その頃の心の動きまで呼び戻してくれます。イントロが流れただけで、当時の自分が何を考え、何に悩み、何を夢見ていたのかが、胸の奥から浮かび上がってくるのです。
デジタル配信なら、聴きたい曲をすぐに探すことができます。しかし、レコードは少し違います。
ジャケットを手に取り、盤面をそっと取り出し、ターンテーブルに載せ、針を下ろす。片面を聴き終われば、立ち上がって裏返す。その一つひとつに、手間と時間がかかります。
けれども、今の私には、その手間がかえって心地よく感じられます。
効率や速さを求めて走り続けてきた現役時代とは異なり、これからは一枚のレコードにゆっくりと向き合う時間があってもよいのでしょう。曲順も含めて一枚を通して聴き、その音楽がつくられた時代や、自分が過ごしてきた年月に思いを巡らせる。それは、セカンドライフだからこそ味わえる、少しぜいたくな時間かもしれません。
時々、針が飛びます。
音が同じところを繰り返したり、突然、少し先へ進んだりします。それでも、腹を立てる気にはなりません。
「古いレコードだから仕方がないな」と笑いながら針を戻す。傷も雑音も含めて、このレコードが歩んできた歳月です。そして、それを聴いてきた私自身の年月でもあります。
人生も同じで、いつも滑らかに進んできたわけではありません。時には立ち止まり、同じことを繰り返し、思いがけないところへ飛んでしまうこともありました。それでも、曲は続きます。
これから、フォークソングや歌謡曲、懐メロ、クラシックのレコードを一枚ずつ聴き直す楽しみが増えました。今日は拓郎、明日は懐かしい歌謡曲、その次はゆっくりクラシック。さて、どの一枚から針を落とそうかと考えるだけでも、心が弾みます。
実家そのものは、次の方へと引き継がれました。しかし、そこで過ごした時間や、家に残されていた思い出まで失われたわけではありません。愛媛から運んだレコードが、岡山の自宅で再び音を奏で始めたように、故郷の記憶もまた、新しい暮らしの中へ形を変えて受け継がれていくのでしょう。
セカンドライフでやりたいと思っていたことが、また一つ叶いました。
時々、針は飛びますが、それもまた良し。青春がよみがえります(笑)。
青春は過ぎ去ったのではなく、レコードの溝の中で、もう一度針が下りる日をずっと待っていたのです。
