私の中で、数少ない「侍」と呼べる存在であった藤澤翼さんの、あまりにも若く、突然の訃報に接し、いまだに言葉を失っています。享年47歳。スポーツを愛し、人を愛し、自らの声と言葉によって会場に熱気と一体感を生み出し続けた、かけがえのない人でした。
藤澤さんは、香川県に生まれ、ラジオパーソナリティーとして活動を始めた後、「DJツバサ」の名で数多くのスポーツ現場を支えてこられました。
福岡ソフトバンクホークスのスタジアムDJとして活躍をはじめ、サッカー、バスケットボール、卓球、女子バレーボールなど競技の垣根を越え、各地のスポーツ会場でマイクを握りました。華やかな演出で観客を盛り上げるだけではなく、それぞれの競技や選手への敬意を忘れず、会場全体の空気を読みながら、選手と観客の心を一つにすることのできる、まさにプロフェッショナルでした。
なかでも、岡山シーガルズのホームゲームでは、長年にわたりアリーナDJを務め、岡山のファンにとって欠かすことのできない「声」となりました。選手紹介の一声、得点が決まった瞬間の呼びかけ、苦しい場面で会場を奮い立たせる言葉。その一つひとつが、選手の背中を押し、観客席の思いをコートへ届けていました。
また、2018年からはレディオモモの「はばたけ!岡山シーガルズ~かもめラジオ」のパーソナリティーを務め、試合会場だけでは伝わらない選手の素顔や人柄、チームの魅力を丁寧に発信しました。つまり、藤澤さんは、単なる司会者ではなく、スポーツの価値を言葉にし、選手とファン、クラブと地域を結ぶ「架け橋」的な存在でした。
私は、岡山市に新しいアリーナが完成した暁には、岡山シーガルズのこけら落としとなる試合で、スポーツMC、アリーナDJを務めるのは、間違いなく藤澤さんであると確信していました。あの堂々たる声が新アリーナに響き、満員の観客が一つになってシーガルズを応援する、その光景を、私は疑うことなく思い描いていました。
西川緑道公園沿いの居酒屋「大関」で、奥様やシーガルズの関係者とみんなで盃を傾けた夜、岡山のスポーツの未来、新しいアリーナへの期待、岡山シーガルズへの思いを、時間を忘れて語り合いました。「その日が来たら、朝まで祝杯をあげよう」そう語り合い、誓い合った約束を果たすことができなくなったと思うと、悔しく、寂しく、目頭が熱くなります。
藤澤さんは、紳士で礼儀正しく、仕事にはどこまでも誠実でした。筋を通し、義理を重んじ、自らが正しいと信じた道を真っすぐに歩く人でした。その一方で、人への気遣いを忘れず、若い選手やスタッフにも優しく声をかけ、周囲を明るくする温かさを備えていました。私が藤澤さんを「侍」と呼ぶのは、声の力強さや立ち居振る舞いだけが理由ではありません。自らの仕事に誇りを持ち、人との約束を大切にし、スポーツと地域のために黙々と役割を果たす、その生き方そのものが「侍」であったからです。
藤澤さんは、空高く舞い、鋭いまなざしで進むべき先を見据える「荒鷲」のような存在でした。しかし、その大きな翼の内側には、人を包み込む優しさがありました。その声に励まされた選手、その言葉に心を動かされたファン、その人柄に支えられた仲間は、数え切れないほどいることでしょう。
新しいアリーナで藤澤さんの声を聞くことは、もうかないません。それでも、藤澤さんが岡山のスポーツに注いだ情熱と、選手と観客を結び続けた功績は、決して失われることはありません。いつの日か岡山に新アリーナが完成し、岡山シーガルズの試合が行われるとき、私はきっと、藤澤さんの声を心の中で聞くと思います。
スポーツを愛し、人を愛し、声と言葉に魂を込めて、多くの人々を結び続けた藤澤翼さん。その姿と功績は、これからも私たちの記憶の中に生き続けます。
紳士であり、侍であり、荒鷲のように力強く羽ばたいた藤澤翼さんのご逝去を、心より悼みます。
どうか安らかにお眠りください。
合掌。
