ふるさと財団の地域再生事業の現地視察で、7月7日~8日の二日間、兵庫県朝来市を訪問いたしました。7日の朝、岡山から新幹線で姫路まで参り、播但線に乗り換えて竹田駅まで参りました。天空の城竹田城跡へ登るには時間が足りませんでしたので、まちなかを散策いたしました。古民家を改装した竹田の魅力を伝える案内所に参り、二人のスタッフの方から、NHKの大河ドラマ豊臣兄弟で、竹田城攻めの話があったと聞きましたので、大河にあやかった観光振興への効果についてお尋ねいたしました。宿泊の観光客は外国人の方が多いようで、もう少し播但線の本数と二次交通の利便性があがると良いとのコメントを頂きました。竹田城跡は平成18(2006)年、公益財団法人日本城郭協会が選定する「日本100名城」に選ばれました。単に石垣が美しいからではありません。全国屈指の規模を誇る山城として、中世山城の縄張りや石垣技術を今日まで良好な状態で残していること、さらに戦国時代の歴史を今に伝える貴重な文化遺産であることが高く評価されたためです。近年では、秋から初冬の朝に発生する雲海に浮かぶ幻想的な姿が全国へ紹介され、「天空の城」の愛称とともに一躍全国区となりました。映画やテレビドラマ、CMの舞台にも採用され、多くの外国人旅行者も訪れる兵庫県を代表する観光資源となっています。
しかし、竹田城の魅力は絶景だけではありません。竹田城は、生野銀山を防衛する軍事拠点としても重要な役割を担っていました。
お昼のおいしいスポットをご教示いただき、オムレツの人気店と手打ちそば屋さんをご紹介頂きました。今回はお天気も良く、気温が30度越えの暑さでしたので、冷たい蕎麦を頂こうと暖簾をくぐりました。11時過ぎでしたが、既に結構なお客さんがおられ、蕎麦をたぐっておられました。女将さんに名物をお聞きしましたら、天空の城竹田城にちなんで、雲海蕎麦がお勧めとのこと。それをオーダーしましたら、確かに雲海に見立てた長いものすり下ろしが載っていました。確かに手打ちに相違なく、打ちたての蕎麦をおいしく頂きました。とても満足いたしました。円山川まで歩きましたら、スタッフの方のご説明通り、竹田城跡を遠望することができました。すがすがしい気持ちにさせてくれました。汗をかきかき竹田駅まで戻り、播但バスを待ち、バスで東京組の皆さんとの待ち合わせ場所、和田山駅まで参りました。車窓からは、ロードサイド特有の大型商業施設や病院、JA、ファーストフード店などが立ち並び、宿場町の雰囲気で静かにたたずむ竹田駅前とは、まったく別のまちの顔がそこにありました。
和田山駅で合流、朝来市のみなさんも出迎えてくれました。
まず、今回の再生事業の当該エリアである、生野の市民センターへ参りました。「未来につなぐ鉱山町」第一回エリアプラットフォームを傍聴させて頂きました。地元生野高校の生徒さんたちも大勢参加され、まさに地域の産官学金に観桜を担う機関や市民団体が勢ぞろい、加えて大阪を拠点とした飲食店を展開されている方、外部専門家、東京を本社に空き家の再生を手掛ける上場企業など多彩な顔触れによる会議でした。質疑応答も盛り上り、締めは参加した高校生、一人ひとりから感想を発表してもらいました。
次に皇室の宿としても使われた、かつての山師が建てた「生野ハウス」をご案内頂きました。かつての生野銀山の栄華を誇る純和風の建物は、部屋数が数えられないほど広大で、お庭も趣向が凝らされていました。あまりにも広すぎて、利活用に困っているとのこと、再生の道は無いか、相談を受けました。ふるさと財団のお手伝いした事案では、広島県府中市の「恋しき」が、歴代多くの総理や文人墨客を泊めた格式ある広大な建物で、府中市さんは同じ悩みを抱えていたことをご説明申し上げました。
次に、古民家と言っても地元の名士の方の大きな古民家を視察いたしました。そのなかで再生して、25年目ですとのショップはお洒落で、調度品も逸品ぞろいで上品でした。はんざき(オオサンショウウオ)のランチョンマットを孫への土産に頂きました。
それから朝来市役所へ向かいまして、市長応接室で市長と懇談の時間を持たせて頂きました。気さくなご対応をしてくださいましたので、当方も初対面ながら、胸襟を開き、飾らない対応をさせて頂きました。
懇談を済ませてから場所を移して懇親会となりました。地元の品はじめ見事な料理が次々と運ばれてまいりました。市長と差し向かいの席で、但馬の日本酒が次々と注文され、次上手の市長にお勧めいただくままに杯を重ねました。すっかり酩酊してしまいました。話題は朝来市の地方創生の話題で溢れまして、市長から直接、朝来の魅力と行政運営のご腐心について、大いに学ばせて頂きました。誠に充実した初日でありました。
翌日、7月8日、この日も晴れてくれました。9時にホテルをチェックアウトいたしました。昨日に続き、市の公用車で、まずは黒川温泉へ足を延ばしました。道沿いには現代アートのモニュメントが次々に現れるエリアがありました。また、途中、山越えでは、関西電力の関係者しか通行が許されない専用道路をご厚意により通行させて頂きました。入口にゲートがあり、関西電力のカードをさすとゲートが開きました。欧州の中心市街地でよく見かけるインテリジェントボラードを思い出しました。
大きなダムがあり、その雄大さに驚きました。
その麓に、元は兵庫県の環境学習施設であった、この7月26日にグランドオープンを予定されている自然環境保護研究センターがあり、オープン前に視察をさせて頂きました。ここは、2025年9月5日、兵庫県から譲り受けた黒川自然公園センターを改修し、オオサンショウウオの生態の解明や情報発信、人材育成などを通して自然環境の保全や自然と共生するまちづくりを進める拠点になると説明を受けました。岡山県にも真庭市はんざき(オオサンショウウオ)センターがあり、しばしば訪れて癒しの時間を頂いています。ここ朝来市の自然環境保護研究センターは、オオサンショウウオの研究ラボが併設され生態観察はじめ様々な研究がされる予定だとお聞きいたしました。実際、市川沿いにNPO法人日本ハンザキ研究所がありました。また、この周辺には、臨済宗の名刹「大明寺」があり、座禅ができるとのことです。また、「黒川温泉」も黒字経営だとお聞きしました。さらに清流沿いに鎮座する「日吉神社」やバーベキュー施設、宿泊施設もそろっているエリアで、このはんざきセンターオープンで新たな誘客が期待されます。こうして、思わぬ驚きのスポットをご紹介いただき、視察団一行は歓喜の声を出し合いました。
最後は、目玉の生野銀山を視察いたしました。ベテランガイドの方のご案内で、約1時間、坑道に入り生野銀山の歴史採掘技術、工夫や家族の暮らし向き、また、戦時中の捕虜を労働に使役した歴史など、大いに学ばせて頂きました。ガイドさんによれば「生野銀山は大同2(807)年の開坑と伝えられ、日本有数の鉱山として1200年以上の歴史を誇ります。戦国時代には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら天下人が、その莫大な富に着目し直轄支配を行いました。銀は戦国武将の軍資金となり、近世には江戸幕府の財政を支える重要な鉱山として発展しました。竹田城と生野銀山は、それぞれ独立した存在ではありません。竹田城は但馬の軍事・行政の拠点、生野銀山は経済を支える鉱山という、まさに「政治」と「経済」の両輪として地域を支えていたのです。明治維新後、生野銀山は日本初の官営鉱山となりました。政府は近代国家建設を目指し、フランスから技師レオン・シスレーらを招いて最新技術を導入します。蒸気機関や削岩機など西洋技術が次々に取り入れられ、生野銀山は日本近代鉱業発祥の地として、日本の産業近代化を牽引しました。その後、三菱へ経営が引き継がれ、昭和48(1973)年の閉山まで日本経済を支え続けました。」との解説を頂きました。
視察を済ませ、施設内のレストランで、名物のハヤシライス頂き、土産を買い求め、生野駅までお見送り頂きました。二日間わたりご案内頂きました朝来市方に御礼を申し上げ、再び播但線で姫路へ向かい、新幹線に乗り換え岡山を目指しました。
■関連リンク
朝来市自然環境保護研究センター 19378.pdf
