2013年の6月11日は、東日本大震災の復興状況調査で2011年4月以来の岩手県陸前高田でした。まだ震災の爪痕が残るなかで、塩害被害の「奇跡の一本松」が保全加工され、元から離れた場所に移動設置された様子が印象的でした。そんな思い出を振り返ります。
この調査は、当時、東京大学の鎌田実先生のお声掛けで実現したもので、筑波大学の石田東生先生をはじめ、トヨタ自動車、モビリティ研究会の皆様とともに、遠野市、釜石市、大槌町、大船渡市、そして陸前高田市を巡りました。
当時、私の研究室ブログでは、「今回の被災地復興調査は、東京大学、鎌田実先生のお計らいにより、被災者の皆さんを支えるモビリティの観点から学ばせていただきました。」と記しています。
現地で目にしたものは、テレビで見る震災とは全く違う現実でした。
「奇跡の一本松」が教えてくれたもの
陸前高田の高田松原には約7万本の松がありました。
そのほとんどが津波で失われるなか、一本だけ残った松。
しかし、その一本も海水による塩害で枯死してしまう危機状態となりました。
それでも、多くの人々は、「震災の記憶と希望を未来へ伝えたい」という思いから保存加工を施し、元の場所から少し離れた場所へ移設・保存しました。
私は、その姿を見ながら考えました。
復興とは、道路や建物を元に戻すことだけではありません。
この時、人々の心の支えとなる「記憶」を風化させることなく未来へ残すことも復興だと確信しました。
鎌田実先生から学んだ「人を守るモビリティ」
東京大学名誉教授・鎌田実先生は、日本を代表する自動車工学・安全工学・モビリティ研究の第一人者です(2026年6月現在、財団法人日本自動車研究所(JARI:Japan Automobile Research Institute)代表理事研究所長)。
先生は長年、自動車の衝突安全技術や高齢者の移動支援、福祉車両、地域交通など、「命を守る交通」を研究されてきました。
東日本大震災では、「被災地では移動できること自体が命を守る」という視点から、道路、交通、車両、生活再建を一体として捉える研究を進められました。
私はその姿勢から、モビリティとは単なる交通手段ではなく、人間の尊厳を支える社会基盤であるということを学びました。
石田東生先生から学んだ「国土を支えるインフラ」
筑波大学名誉教授・石田東生先生は、日本の道路政策、交通政策、国土計画の第一人者です。道路行政、都市政策、防災計画、公共交通など数多くの国の政策形成に携わり、「道路は人や地域を支える社会資本である」という理念を一貫して示されてきました。
東日本大震災では、一本の道路が開けば救急車が通る、物流が動く、病院へ行ける、商店が営業を再開できる、地域経済が再び動き始める。その現実を目の当たりにしながら、「インフラは平時には目立たないが、有事には命を支える生命線である」ことを改めてご教示くださいました。
今振り返ると、2013年の現地調査は、私の研究人生の大きな転機だったように思います。
この経験が、私の研究の原点のひとつとなり、その後、私は、倉敷市真備地区の豪雨災害復興、防災拠点としての機能を持つ岡山市アリーナ整備、老朽化が進む公共施設・インフラマネジメント、水島港長期構想検討、岡山県下自治体の地域づくり、政策研究大学院大学インフラマネジメント研究会など、多くの公共政策に関わらせていただくことになりました。そして、そこでは新たなファイナンスの研究を併せて行いたいと考えています。20年間勤務した、金融財政事情研究会での財政金融に関する教育研究の経験が活きていると思料しています。それは一見すると分野は異なりますが、その根底に流れているものは同じであり、「人の命と暮らしを守る社会基盤をどう築き、守り、育てるか」という問いです。インフラとは、単なるコンクリートではなく、道路も港も公共施設も、地域交通も、防災計画も、すべては地域の人々が安心して暮らし続けるための社会資本「公共の財産」です。それを支える公的な財政投入や民間活力を活かす金融が求められると思います。
だからこそ、私は近年、政策研究大学院大学で家田仁先生をはじめ多くの先生方とともにインフラマネジメントを京都大学で川北英隆先生をはじめファイナンス分野の先生方と学び続けていこうとしています。
その原点をたどれば、間違いなく2013年6月、陸前高田で見た風景へと行き着くのです。
「記録」は、未来への責任
当時の三村研究室ブログの最後に、私は次のように記しました。
「私たちモビリティ研究会では、引き続き、この課題に正面から向き合い、一日も早い復興の日まで活動を展開して参りたいと思います。」あれから十数年が経ちました。
復興は着実に進みましたが、日本ではその後も熊本地震、西日本豪雨、能登半島地震など、大きな災害が続いています。復旧・復興計画をお手伝いした西日本豪雨災害からは、この7月で8年を迎えます。
だからこそ、防災とは「災害が起きてから考えるもの」ではなく、「平時から地域を育てる営み」でなければならないと痛感します。
献盃
そんなことを思い返しながら、魚料理が美味しい国立市の居酒屋「庄屋」で、妻に思い出を語りながら、静かに献盃しました。
海の幸をいただきながら、陸前高田の海を思い浮かべ、鎌田実先生、石田東生先生をはじめ、現地で多くのことを教えてくださった皆様への感謝が込み上げてきました。
奇跡の一本松は、震災の象徴として立ち続けています。
私にとっても、あの日の被災地で学んだ経験は、公共政策やインフラマネジメント研究に取り組む原点として、これからも心の中に立ち続ける「一本松」であり続けたいと念じています。
■関連リンク
陸前高田の教育旅行・震災学習 – 【公式】陸前高田市観光サイト|高田旅ナビ
